昔はヨカッタネ

昔はヨカッタネ

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  66になって早1週間。66歳となると、70はすぐそこだという気分が強い。だから、というわけではないが、やたらと昔がなつかしくなる時が、ある。

  You tube で原信夫とシャープスアンドフラッツで検索してみていたら、谷啓が共演しているのがあった。昔から、ビッグバンドが好きなのである。やっていたのは真珠の首飾り。この手の曲を聞くと、リアルタイムでの経験がないのに、なぜか見ものそこで遠くに空襲警報が鳴ったり、白黒写真の戦後の風景が思い起こされるのである。鉱石ラジオで遠くから聞こえてくるような不思議な感覚だ。向井滋春と一緒になって、真珠の首飾りをやっつけている元シャープの団員、谷啓。さすがにちょっとつらいが、何、ジャズのステージ上でも彼らしい愛嬌、そしてペーソスがある。

  谷啓と言えば、クレージーキャッツ。牛乳石鹸提供のシャボン玉ホリデー。小学校時代の仲間の感じがよみがえる。

  他のチャンネルで、ご機嫌なナンバー、All of meをシャープがやっつけている。この曲は、ボサノバ調もいいしJazzでももちろん結構毛だらけ。そして、おお、鈴木さんがテナーサックスを吹いている。

  10年以上も前のことだろう。事務所のクリスマスパーティーに鈴木さん、由美さんご夫婦が来てくれ、会場で、サックスのソロをしてくれたことがあった。僕は、確か、無難なところでシャボン玉ホリデー、じゃない、スターダストを注文したと思う。素晴らしい音色のサックスが一気にあふれ出した。シャボン玉ホリデーそれはそれは名演で、会計事務所のなれ合いのパーティーが、最初の音が出たときから、一流のホテルでのディナーショーに変わったのにも驚いた。

  その時にも思ったのだが、同じような経験がある。ジョー山中のことだ。彼が仲間のスタジオミュージシャンとバンコクに遊びに来て、小生、ちょっとした縁でヘボ通訳としてお供をした。夜の街、タニヤに繰り出して、どこかいい店、そして生バンドでやっている店はないか、という。で、「愛」だったら生バンドにはずだと思い、総勢6人くらいで入った。「愛」と言えば知っている人は知っている、まあ、いろいろあるが、それは省いて、老舗中の老舗である。フィリピンバンドで、そこここに今日の相手を物色しながら酒を飲んだり踊ったりの日本からの旅行者、駐在員、その接待される人たちがいて、場内は喧騒状態である。バンドの音もあまり聞こえやしない。まあ、こっちも馬鹿話をしながら、そして、ねーちゃんたちとの通訳を何とかこなしながら飲んでいたら、ジョーさんが、急に一曲やりたいと言い出したのである。さあ困った。恐る恐るバンドのフィリピン人に言うと、なにせこっちはヒッピーっぽい服装の酔っぱらいオヤジの軍団である。胡散臭そうにこっちを見るばかりだ。大丈夫、日本の有名なミューシャンなんだ、嘘じゃない、Trust me とへんてこりんな英語で怒鳴るように言い、なにがしかのチップを渡して、なんとかギターとかいくつかの楽器を貸してもらった。そして、一同、小さいけれど一応ステージ如き場所に上がったのである。フィリピン人のミュージシャンは、それは心配そうな顔で、酔っぱらいの日本人ヒッピーが抱えているギターは、彼らの生業の大事な道具なんだから、それももっともだと、気の毒な気もした。

  ところがだ。名前は忘れたけど、連れのミュージシャンが一発音を出すと、場内がざわめいた。曲はStand by me。有名なあのイントロである。ホステスも客も同時にステージに目が行ったのである。そして、ジョーさんが歌うと、あれえ、単なる酒場の雰囲気が一変した。上質な音楽が酒場の空間に満ちた。すげー。うまいなんてもんじゃない。ジョーさんもきっと南国のねーちゃんに囲まれて、そりゃあ、いい気分だったんだろう。乗りに乗っていたStand by me は、一生のうちで最高の歌だった。終わった時の拍手もすごかったなあ。

  Things ain’t what they used to be昔はヨカッタネ。ジョーさんも、鈴木さんも、由美さんも、もう、この世にいないのである。

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